(写真:お腹のなかにいながら早くもミドルフィンガーをかましてきた息子くん)
この一年はいろいろな変化を迎えた年でした。
今年の5月には、以前にFacebookで報告した生きがいについての英語本が出版され(現在はイギリスでのみ購入可)、そして4月に男の子を出産しました。
念願のベビーで元気に生まれてきてくれて本当にありがとうという気持ちでいっぱいなのと同時に、今までさんざん自由に生きてきたので、劇的な生活の変化に未だに少し戸惑っている自分がいます(汗)。新生児のお世話がこんなに大変だなんて、本当にいままで自分は無知だったなと反省。世界中のお母さん(とお手伝いしてくれる場合はお父さん)には尊敬の念しかございません。
子どもができて一番感じているのは、見える世界がガラッと変わるということ。これまでと同じ場所に出かけていても、目に飛び込んでくるものが違う。どこを見てもバギーを押すお母さんの姿があったり、やんちゃな息子を追いかけ回すお父さんの姿があったり。人って、無意識に自分と似た人に目がいく”同志フィルター”で物を見ていることを強く実感する。
すでにお子さんがいる人には当たり前のことかもしれないけれど、すごく衝撃的で。特に、触ればこわれてしまいそうな新生児のケアで不安や心細さマックス。だからこそ、赤の他人でも同じような状況にいそうな人に親近感を覚える。こころの中で、「この人も、自分のいまのような時期を乗り越えてきたんだ」と想像して勝手に勇気付けられる毎日です。
でも、こうやって考えると、自分と違う人、それが性別でも、生まれ育った環境でも、働いている業界でも、その違いを越えて相手のことを理解するって本当に至難の技なんだなって。特にそれが性別みたいな決定的な違いだと、不可能に近い気がする。わたしたちは日々、そんな不可能に近いことをやろうとしているんだ。
最近のTwitterを見ていると、婦人科に入っていく高校生を見かけたおじさんが「女性が婦人科にいく唯一の理由は中絶するためだろう」と思い込んでいることに驚きの声が上がっていたり、生理中でもプールに入ることを強制する学校が問題になったりしてる。
でも、超身近に同じ状況の人がいるようなことがない限り、そして積極的に自分から相手について学ぼう、理解しようとする姿勢がない限り、世の中には理解も共感もせずに終わっていく相手がたくさんいるんだなって。
悲観的になってるんじゃなく、だからこそ、自分の思い込みや自分の小さな世界だけで物事や相手を判断せず、人には常に思いやりを持って接していきたいなと思う今日この頃です。